バンド活動では日本武道館でのライブ、作家活動では芥川賞を受賞。はたまた私生活では有名女優さんと結婚離婚を繰り返すなど、様々な分野で超一流の経歴を持つ辻仁成さん。そんな天才過ぎる辻仁成さんですが、いったいどんな家柄の生まれなのでしょうか?本記事では、辻仁成さんの家系図について迫りたいと思います。
- 辻仁成の家系図~家族編
- 父について
- 母について
- 弟について
- 息子について
- 辻仁成の家系図~祖先や親戚について
- 祖父について
- 祖母について
- その他の親戚について
- 辻仁成の家系図のまとめ
辻仁成の家系図~家族編
辻仁成さんは東京都南多摩郡日野町(現在の日野市)に団地に生まれました。少年期は父親の仕事の関係で、福岡県の福岡市、北海道の帯広市と函館市を転々としたそうです。
辻仁成さんは北海道函館西高校を卒業後、上京して成城大学へ進学・中退をしていますが、現在の実家は福岡県の博多となっているようです。実家の構成は、辻仁成さん本人の父母と、弟の4人家族です。
父親について
辻仁成のお父さんは保険会社の社員で、一時は社長になるかと言われたほどのエリートでした。保険会社と言えばいわゆる大企業がほとんどですし、その中でもトップクラスのエリートだったわけなので、かなり優秀なビジネスマンだったことが伺い知れます。
しかしながら運命は残酷なもの。最終的にはライバルに敗れてしまい、晩年は窓際族としてのサラリーマン生活でした。そういった悔しい晩年は家族に見せず、気丈に振舞っていたそうですが、その強さが裏目に出たのか父親は、辻仁成さんや家族と仲はあまりよくなかったようです。
辻仁成さんは父親と遊んだ記憶があまり無いとしています。立派な父とは認識していたたものの、抱っこされたこともなければ、語り合ったりキャッチボールをしたり、そういった記憶がまったく無いそうです。辻仁成さんが息子とたくさん時間を共有するようにしているのは、自身の経験を反面教師としているとのことです。
お父さんは最後は病気にかかり、お亡くなりになります。その際には多くの人たちが集まり、お父さんを慕っていたことが明らかになります。辻仁成さんも今となっては、父には父の苦労があったことを理解し、感謝の気持ちを抱くようになったとおっしゃられています。
母親について
辻仁成さんは2019年にお母さんの半自叙伝のようなエッセイを出版しているため、ご存じのかたもいらっしゃるんじゃないでしょうか?
辻仁成さんの母親は恭子さんというお名前です。強くて優しい、豪快な気質の方のようです。子供の頃から大人をうならせるほどのお花の腕前で、弁論大会には福岡県代表として出場するなど、幼少期から並々ならぬ才能を発揮なさっていたようです。
辻仁成さんのお父さんは愛情が故の束縛が厳しい方だったため、お母さんは外出に制約を設けられた上で、それでもなお、料理教室や刺繍教室の講師としても活躍なさっていたそうです。後述する母方の祖父もそうですが、辻仁成さんの多彩な才能はお母さんの血筋の方から特に色濃く引き継がれているような印象です。
また芸術性のみならず、辻仁成さんの人生観にも多大な影響を及ぼしていることを、辻仁成さん自身が何度も発言しています。エッセイから抜粋されたお母さんの名言は、当時のツイッターなどでも話題となりました。ここでは一部だけの抜粋に留めますが、たとえば以下の発言はよく知られています。
辻仁成さんから見ても、非常に才覚溢れた人で、言葉も優れた人だそうです。以下は近年のお姿ですが、どことなく辻仁成さんに似ているところは感じますよね!
末永くお元気に暮らしていただきたいものですね。
弟について
弟さんは恒久さんというお名前です。辻仁成さんの二歳年下で、今は実家の博多でお母さんの面倒をみてくださっているそうです。辻仁成さんは「恒ちゃん」と呼んでおり、近年もよくエッセイ内で登場しています。そもそも、辻仁成さんの個人事務所の社長として今もお仕事をされているようなので、兄弟間の仲はかなり良好と言えるんじゃないでしょうか。
とはいえ、弟さんは独身で2023年には61歳を迎えるご年齢のため、なかなか大変なこともあるようですね。パリに居る辻仁成さんと電話で話した際には、こんなセリフを残していたそうです。
辻仁成さんのお母さんもパワフルな人なので、弟さんとお母さんはいつも小言を言い合ってやり取りしているらしいですよ 笑
もちろん仲が悪いわけではないため、なんだか微笑ましくもありますが、ぜひたまには息を抜いて、これからも元気に過ごしていただきたいものですね。
息子について
辻仁成さんには2人の息子さんがいらっしゃいます。家系図とは少し違うかもしれませんが、家系の天才性がよく現れているとは思いますので、ここでご紹介できればと思います。
中山美穂さんとの子供
周知のとおり、辻仁成さんには中山美穂さんとの間に生まれた十斗くんという息子さんが居り、辻仁成さんが親権を持っています。
息子さんについては辻仁成さん自身がシングルファザーの子育ての目線として、現在進行形で情報を発信しており、非常に多くのエピソードが公開されています。そのため本記事ではサラっと触れるに留めたいと思いますが、息子さんも相当な才能を引き継いでいることが伺い知れるエピソードを一つだけご紹介したいと思います。
息子さんは学生として勉学をメインとしつつ、音楽にも親しんでいるのですが、辻仁成さん曰く「彼がつくる曲は僕なんかとても作れないレベルだし、その芽を摘まないようにしたい」とまで言わしめる才能をお持ちだそうです。趣味とするレベルは遥かに超えており、数か月先のライブチケットが完売となっているみたいですね。
さらには勉学もフランスの東大とも言えるパリ大学へ進学しているようで、迷った結果として、現時点ではかたい世界で就職する道を考えているそうです。代々引き継がれてきた才能を、今後存分に発揮していただきたいものですね!
南果歩さんとの子供
なお、辻仁成さんには中山美穂さんの前妻である南果歩さんとの間にもお子さんがいらっしゃいます。依岐(いぶき)さんというお名前です。こちらの息子さんは南果歩さんに親権がありますが、辻仁成さんとも会うことはできる仲のようです。
サンフランシスコの美術大学へ進学後、現在は画家として活躍なさっています。やはり辻仁成さんの家系は、芸術家の血筋なのかもしれませんね。なお、プライベートでは学生の間にすでにご結婚されており、幸せに過ごしていらっしゃるようです。
辻仁成の家系図~祖先や親戚について
辻仁成さんの先祖については、そこまで多くの情報があるわけではありません。しかし日本人初となるフェミナ賞受賞作である「白仏」では、辻仁成さんの祖父をモチーフとした主人公が描かれています。
祖父について
辻仁成さんの母方の祖父の名前は、今村豊さんというお名前です。トラクターの元となる自動三輪や、海苔の乾燥機を発明したモノづくりの天才であり、地元では名士として知られていました。祖父の今村豊さんが一代で築き上げた今村製鉄所は、中九州一円で大成功を収めていたそうで、市会議員も歴任していたとのことです。辻仁成さんの代表作の一つである「白仏」は、祖父である今村豊さんをモデルとした物語が描かれています。
鉄砲鍛冶だった江口稔(小説内での主人公の名前=祖父)は、事故や戦争で周囲の人間を失っていきます。
そのような経験を経て、次第に深い死生観を抱くに至った主人公は、大野島で志半ばで倒れてしまった人々の魂を鎮めるため、島民を説得して島のお墓を掘り返し遺骨を数千体に及ぶ規模で集め、骨で制作された仏像(白仏)を建立します。実際の小説はかなり重たいテーマを取り扱った作品のため、あまり軽々しい言及は避けたいと思います。白仏は現在も大野島の勝楽寺に安置されています。
辻仁成さんの家系の並外れた天才性はこの祖父が起点となっていると言えるかもしれません。
祖母について
辻仁成さんの祖母については、すでにお亡くなりになれているようですが、詳細についてはあまり情報が出回っていません。
しかしながら辻仁成さんがJINSEI STORIESとして発信した内容として、以下の印象深いエピソードをご紹介できればと思います。お婆さんがお亡くなりになられる前、辻仁成さんにこのように伝えたそうです。
「私はもうすぐ、この世から去る。でも、それを悲しむな。お前にだけは言っておく。わしはお前を遠くから見守る。お前がこれから苦しいと思うことがあったらわしのことを思い出せ。お前がわしを思い出す時、わしはまだこの世でお前を守ることができる。必ずできる。」
辻仁成さんのお母さんにも通ずるような、達観した人生観と強さを秘めた、愛情深さを感じる言葉ではないでしょうか。なかなか普通の人が言える言葉ではないと感じます。
その他の親戚について
辻仁成さんのお母さんの従姉妹に英子さんという方がいらっしゃいます。
この英子さんの夫は、「のぼるはがんばる」「くんぺい魔法ばなし」「おはようどうわ」シリーズなどで知られる、童話作家の東君平さんです。辻仁成さんからみると、叔父にあたります。
また、東君平さんのお兄さんは東公平さんといい、著名な将棋の観戦記者であるとともに、日本のチェスチャンピオンでもあります。
辻仁成さんの一族は、芸術や執筆方面で特に秀でた才能を有する方が多いのかもしれませんね。直接的な血のつながりが無い関係性の場合でも、類は友を呼ぶではないですが、無意識のうちに才能同士が引き合った結果かもしれませんね。
総括:辻仁成の家系図まとめ
以下に本記事のポイントをまとめます。
辻仁成さんの出生地は東京の日野市で、現在の実家は博多である。
辻仁成さんの家系図として、父親はエリートサラリーマンであった。厳しい性格がゆえに、家族仲は良好とは言い難い面もあったようだが、今振り返れば辻仁成さんは感謝の念を抱いているとのこと。
お母さんは辻仁成さんの才能の出どころとなっているような、才覚やエネルギーにあふれた人。近年では母親が主役となった著作を辻仁成さんが出版している。
弟さんは辻仁成さんの個人事務所の社長を務めており、実家で母親の面倒をみてくれている。現在も辻仁成さんと仲がよい。
息子は2人居て、1人はパリ大学へ進学しつつ音楽でも並外れた才能を発揮。もう2人も海外の美術大学出身の画家であり、辻仁成さんの才能を存分に引き継いで活躍中。
母方の祖父は実業家として地元の名士であった。祖父をモチーフにした小説は「白仏」として辻仁成さんの代表作の一つとなっている。事業家としての一面以外にも、晩年には大野島で志半ばで倒れてしまった人々を鎮魂するため、遺骨による白仏を建立した。辻仁成さんにも通ずるような、卓越した感性をお持ちだったことが伺い知れる。
祖母の情報は多くはないものの、生前に残された発言から鑑みるに、やはり並外れた人生観や愛情を持った人だったご様子。
その他、親戚にも作家や執筆業を生業とする人が多く、偶然とは言い難い。辻仁成さんの才能の根源は家系図を踏まえると、あきらかに祖先から連なっているものと言える。