「海原やすよ」「海原ともこ」さんは実の姉妹によるベテラン漫才コンビです。実はお二人の家系は数々の芸人さんで彩られており、とても華やかな家系図となっています。本記事では、芸人版「華麗なる一族」といえる一家の家系図について、読み解いていきたいと思います。
- 海原やすよともこの家系図~1親等について
- 父親について
- 母親について
- 子供について
- 旦那について(番外編1)
- そもそもどっちが姉なの?(番外編2)
- 海原やすよともこの家系図~2親等ほか
- おばあちゃんについて
- おじいちゃんについて
- 海原やすよともこの家系図のまとめ
海原やすよともこの家系図~1親等
まずは「海原やすよ・ともこ」さんの1親等の家系図をご紹介していきましょう。
父親について
「海原やすよ・ともこ」さんのお父さんは、漫才コンビ「海原かける・めぐる」の「かける」さんです。本名は「梅本一夫」さんというお名前で、1948年岡山生まれの大阪育ちです。
最初は「海原かける・めぐる」を元漫談の宮たかし(後のミヤ雀仙)さんと結成していましたが、1968年に三洋電機に勤務していた際の同僚であった中井昭彦(後の池乃めだか)さんと二代目「海原かける・めぐる」を結成。右側が海原かけるさんで、左側が池乃めだかさんです。
1975年には上方漫才大賞新人賞を受賞するなど頭角を現しましたが、突如1977年にコンビを解散し、かけるさんは芸能界を引退しました。相方だっためぐるさんはこれ以降、池乃めだかとして芸能界で長きに渡り活躍したのは記憶に新しいところです。
当時、三洋電機は時代を代表する大手電機メーカーの一つでした。海原かけるさんの経歴は会社員からはじまり、芸人としての成功、急な引退と、波乱万丈の経歴と言えるでしょう。その後はスポーツ用品店の経営や板前修業を経て「ちゃんこ鍋dining うなばら」を経営しています。
テレビでも取り上げられるなど人気を博しましたが、2023年現在ではお店の開店情報は確認できておりません。
母親について
「海原やすよ・ともこ」さんのお母さんは、吉本興業所属のマジシャンだったワンダーのり子さんです。
本名は小笠原(旧姓)燿子さんといい、1945年生まれで海原かけるさんの3歳年上にあたります。夫である海原かけるさんは芸人時代は別の事務所の所属でしたが、吉本の花月に出演したこともあるので、その時に知り合ったものと思われます。
当時は大変な美人さんで高い人気を誇っていたとされていますが、残念ながら現存する写真は見当たりませんでした。1973年に海原かけるさんと結婚したタイミングで家庭に入り、そのまま芸能界を引退しました。
子供について
「海原やすよ・ともこ」さん各々の子供についてご紹介します。
「海原やすよ」の子供
海原やすよさんは2005年に30歳で結婚していますが、現在まで子供はいません。
「海原ともこ」の子供
海原ともこさんは現在再婚しており、2人のお子さんがいらっしゃいます。
2007年(36歳を迎える年)に第一子となる女の子「歌星(かせい)」ちゃんを出産後、2013年(42歳を迎える年)には男の子「將月(しょうげつ)」君を出産しました。
初婚時には子供は居なかったため、いずれも現在の旦那さんとの間のお子さんです。なお旦那さんについては、この後あらためて詳細をお伝えします。
旦那について(番外編1)
厳密には配偶者は1親等ではありませんが、家系図として外せないため夫についても取り上げたいと思います。
「海原やすよ」の旦那
「海原やすよ」さんは2005年、当時オリックスバッファローズの投手だった宮本大輔さんと結婚しました。
テレビ番組で「海原やすよ」さんの結婚相手を探す企画をおこなったところ、宮本大輔さんが立候補をしてお付き合いがスタートし、そのまま結婚まで至りました。その後も離婚をすることなく、現在に至ります。
「海原ともこ」の旦那
「海原ともこ」さんは2003年(32歳を迎える年)に離婚するも、2006年に元ジャニーズ男闘呼組の前田耕陽さんと再婚を果たしました。前田耕陽さんは「海原ともこ」さんの3歳年上です。
前田耕陽さんも再婚で、初婚は元アイドルの中村由真さんでした。元アイドルだけあって、大変おキレイな方でしたが、お互いの相性がよくなかったためか、喧嘩が絶えなかったそうです。
前田耕陽さんは「海原ともこ」さんのことを「一緒にいると優しい気持ちになれる人」と表現していますので、実際の結婚生活を踏まえた再婚の決断だったのかもしれませんね。
なお「海原ともこ」さんの初婚の相手は番組制作会社のディレクターさんだったようですが、一般人の方ということもあり、写真画像や詳細なプロフィールは表に出ていません。
そもそもどっちが姉なの?(番外編2)
こちらも厳密には家系図とは違いますが「海原やすよ・ともこ」さんはよく似た風貌のため、どちらがお姉さんなのか判断しかねる人もいるようです。
結論としては「海原ともこ」さんが4歳年上のお姉さんです。1971年生まれのため、2023年で52歳を迎える年齢です。
「海原やすよ」さんは1975年生まれですので妹にあたります。2023年で48歳を迎えます。
さすが人前に出るお仕事をなさっているおかげか、お二人とも実際の年齢よりも若々しく感じますね!
海原やすよともこの家系図~2親等ほか
「海原やすよ・ともこ」さんの系譜は、2親等以上の間柄でも特筆すべき点が多くあります。
おばあちゃんについて
「海原やすよ・ともこ」さんを語るにあたっては、「海原お浜・小浜」さんを外すことはできません。
父方の祖母について
1933年にデビューし、1976年の解散まで女流漫才コンビとして人気を博した「海原お浜・小浜」の「海原小浜」さんが「海原やすよ・ともこ」さんのおばあちゃんです。2015年に92歳でお亡くなりになられています。
小浜さんは1923年生まれで、幼少時に父親を亡くして母と暮らしていました。子供の頃より芝居の才能を発揮して、4歳で子役としてデビューし、早々に座長まで上り詰めます。それだけ聞くと順風満帆に思えますが、プライベートでは母親が亡くなり、その後の育ての親だった養父までも亡くしてしまいます。
しかし小浜さんは大変芯の強いかたで、当時17歳だった叔母のお浜さんを後継人として、ふたりでコンビ「ハッピー姉妹」を結成。以後、コンビ名を幾度か変更しつつも、長年に渡って活躍をしますが、戦時中や戦後の地方ドサ周りなど、現代では考えづらいほどの苦労があったことは想像に難くありません。
積年の苦労が実り、1967年には「上方漫才大賞」、1975年には「上方お笑い大賞」を受賞するなど業界の大御所となるに至りますが、1976年には相方の「海原お浜」さんの白内障により、コンビ解散となりました。
その後、小浜さんはソロのタレントとして2010年頃まで芸能活動を継続しました。
母方の祖母について
「海原やすよ・ともこ」さんのお母さんであるワンダーのり子さんの母親も、マジシャンのワンダー天勝さんという芸能人の方だったそうです。
お名前からすると、戦前のマジシャン業界において圧倒的な地位を誇った松旭斎天勝さんの一門であった可能性を感じさせます。松旭斎天勝さんは日本のマジシャン界の始祖のような方で、プリンセス・テンコーさんも遡ると天勝さんの一門です。
おそらくワンダー天勝さんも、直接的にせよ間接的にせよ何かしら関係はしていると思われます。
おじいちゃんについて
祖父については情報があまり出回っていませんが、調べられる限りの情報をまとめてみたいと思います。
父方の祖父について
「海原やすよ・ともこ」さんの祖母である「海原お浜・小浜」の小浜さんは、浪曲師の石川玉若さんと結婚しました。つまり石川玉若さんが「海原やすよ・ともこ」さんの祖父にあたります。
母方の祖父について
母方の祖母であるワンダー天勝さんの夫が祖父にあたりますが、これまでに具体的な情報が出たことはありませんでした。もし今後、新たなニュースが入った場合には、加筆していければと思います。
海原やすよともこの家系図のまとめ
以下に本記事のポイントをまとめます。
海原やすよ・ともこの家系は芸人一族。
父親は漫才コンビ「海原かける・めぐる」の「かける」さん。人気絶頂時に突如引退を発表し、様々な職を経て飲食店を経営していた。
母親は吉本興業所属のマジシャンだったワンダーのり子。
海原やすよに子供は居らず、海原ともこは2人の子供がいる。
海原やすよはオリックスバッファローズの投手だった宮本大輔と結婚。
海原ともこは2003年に離婚するも、2006年に元ジャニーズの前田耕陽さんと再婚。
「海原やすよ・ともこ」は海原ともこさんが4歳年上のお姉さん。
父方の祖母は「海原お浜・小浜」の小浜さん。
母方の祖母はマジシャンのワンダー天勝。
父方の祖父は浪曲師の石川玉若。
母方の祖父については、現在は公表されていない。